2009年11月6日金曜日

株式会社日本ハイソフト

今回は株式会社日本ハイソフトにお邪魔しました。1984年の会社設立以来、一貫して一般企業向けパッケージソフトの開発をし、製造業小売業や林業医療福祉など、多業種にわたり多くの導入実績をお持ちです。はじめに杉原悟代表取締役にお話を伺います。

写真 日本ハイソフト外観




一般企業向け業務用パッケージソフトとは、具体的にどんなものですか。

いろいろな種類がありますが、たとえば商社を例にとりましょう。モノを仕入れて在庫を管理してそれを売るという一連の流れがありますね。そこにはモノを管理する必要もありますし、モノを売り買いすることに伴いお金の管理も発生します。その中で、在庫管理から、受発注の伝票発行まで取引の一連の流れを一貫して管理できるソフトです。
これらのソフトを一般企業に導入していただき、事務の省力化、業務の見える化を図ることで、導入していただいた企業の経営改善につながるようにしています。

導入実績をみると林業から医療福祉まで多岐にわたっています。これほどコンピューターが普及するとありとあらゆる業務に関係してくるんですね。

そうですね。もうパソコンは電卓と同じように業務の必需品になっているのかもしれません。

すでに製品化されたパッケージソフトを売るんですか。

いえ、導入していただく企業それぞれに業務が違いますし、同業者であっても同じソフトがそのまま他の同業者に使えるわけではありません。会社個々に管理する業務も違いますので、パッケージソフトをベースにそれぞれに合うようカスタマイズします。そこが我々の強みですし、付加価値の部分です。

企業にあった業務ソフトを開発するには、その会社の業務に精通していなければいけないんですね。

そうですね。企業にとって業務ソフトの導入はあくまで手段であって、目的は経営改善、効率化ですからね。今その企業のどこが問題点でどう改善すればいいかそれを考えながらソフトを開発し、提案しなければいけません。その提案を納得していただければ企業に使っていただけますし、他社の提案に負けることもあります。そこは企業間の競争の部分です。

やはり競争は激しいものですか。

われわれは大阪に支社を設けているんですが、それこそ都会地はIT企業なんていくらでもありますよ。そこでもしっかり提案して他社との競争に勝たなければいけません。

大阪に支社を設けられた経緯を教えてください。

私の起業した経緯によるものなんですが、もともと私は大阪でソフトウェアの開発の仕事をしていたんですよ。その関係で大阪のお客様が多く、出雲から毎回出向いていたんでは効率が悪いので支社を持つようになりました。今は他の同業者とともにビルに入居していますが、最初はマンションの一室を借りてスタートしました。

社長が起業された経緯を教えてください。

地元の高校を卒業後、東京理科大に入学しました。大学での研究でコンピューターの世界に触れて、これがとても面白くこの世界に入ったきっかけです。卒業後は東京に本社があるIT企業に入社し、大阪支店に勤務しました。勤務して数年して私も地元である出雲に帰らなければならなくなったんですが、この経験を活かせる企業はその当時まだ出雲にはありませんでした。この仕事は好きだったし続けたかったので、だったら自分で会社をつくろうということになりました。当時勤めていた会社にも事情を話すと、顧客を紹介してくれたりいろいろと協力してくれました。

写真 杉原社長



今は島根県が推し進めているrubyがありますね。社長から見てrubyによる産業振興や今後の可能性はどうお考えですか。

Rubyとはソフトウェアを開発するプログラミング言語のひとつなんですが、ソフトウェアの開発効率がいいことから注目を集めています。しかしまだまだ全国的、世界的に普及するところまでには至っていません。もう少し時間が必要だと思います。

こちらでも何かrubyに関する取り組みをされていますか。

しまね産業振興財団の助成事業を活用して、プログラミング言語のPHPからrubyへ変換するツールを研究開発しています。まだ基礎研究の段階なんですが、島根大学なども巻き込んで産学官が連携しながら取り組んでいます。

ここからは人材について伺います。社長が求める人材とはどんな人材ですか。

向上心のある人ですね。まじめな人もいいんですけど、この業界はどんどん新しいものを生み出すことが求められる業界です。行き交う情報のスピードも速く、常に新しい情報に敏感に反応しなければいけません。そのためには向上心がないと続かないでしょうね。

これまで取材させていただいた企業でも求める人材を伺うんですが、どの業種にも通じる求める人材像があるような気がします。向上心やコミュニケーション能力、素直さやヤル気など、決して難しい知識や技能を求めるわけではなく基本的なことを求めていらっしゃるんだと思います。

そうですね。最近は女性のほうがパワーがあるように感じます。あとは自分の言葉でものごとを伝えられるかどうかですね。面接や応募書類にちゃんとしたことが書いてあっても、それが自分の言葉なのかどうかはすぐに分かるものです。

面接の際にどういったところを見られますか。

さっき言ったことのほかには、何か一つ自分が誇れるもの、光るものを持っているかを見ます。それは何でもいいんですけど、「自分はこれだったら誰にも負けない」というものを持っている人はやっぱり強いですね。さらにそれを自分の言葉で人に伝えられたらもっといいと思います。

最後に今後の目標を教えてください。

コンピューターが普及したとはいえ、業務用ソフトの導入はまだまだ初期投資に大きな費用がかかるため、これをもっと少ない経費で利用できるよう開発を進めていきたいですね。それと、地元でITの仕事がしたいと思っている若者のために、この出雲で活躍できる環境を整えておいてあげたい。地元で育った優秀な学生が、地元には仕事がないからといって県外に出ていくなんてさみしいじゃないですか。そんな彼らが十分に力を発揮できる場をこの出雲に作りたいですね。

続いては平成20年4月入社、システム開発部の熱田さん(26歳)にお話を伺います。

どうして日本ハイソフトに入社されたんですか。

徳島大学で情報工学を学んでいました。卒業後は地元で専門知識を活かした仕事をしたいと思ったからです。

写真 熱田さん



もともとコンピューターが好きだったんですか。

はい。高校生のころからゲームが好きで、自分でも面白いゲームを作ってみたいと思っていました。

大学ではどんなことを勉強されたんですか。

今の仕事であるプログラミングの基礎のようなことを学びました。大学で学んだ知識はそのまま仕事に使えるわけではありませんが、大学で学んだ基礎は大いに役に立っています。

入社してみていかがでしたか。

入るまでは一人でもくもくとパソコンに向かって仕事をするイメージでしたが、大部屋でワイワイガヤガヤやっていて、少し印象と違いました。

今はどんな仕事を担当していますか。

先輩に付いてソフト開発のサポートをしています。あと、PHP言語からrubyへの変換ツールの開発にもメンバーの一員として携わっています。最近はソフトだけではなく、そのソフトを入れるハードの設定ができるように実務を積んでいます。

写真 熱田さん勤務風景



プログラマーの仕事を想像すると一日中パソコンに向かっているイメージがあるんですが、大体の一日のスケジュールはどんな流れですか。

そうですね、
8:30 出社 社内の掃除
9:00 始業
10:00~12:00 プログラミングに関する新技術の勉強会
12:00~13:00 昼休憩
13:00~16:00 プレゼン用の資料づくり
といった感じです。

勉強会は定期的にされるんですか。

特に決まっていませんが、新しい情報が入ると誰かが講師役をやってみんなで勉強しています。どんどん新しい技術が開発されてそれに付いていかないといけないので、学び続ける姿勢を持つことが必要です。

学生時代は勉強のほかにどんなことをしていましたか。

テニスサークルに入っていました。高校時代から続けています。アルバイトもテニスの講師をやったりしていました。いまでも土日のうちどちらかはテニスを楽しんでいますよ。

社会人になって変わったことはありますか。

時間に対する考え方が変わりました。学生の時に比べて一時間が貴重に思えるようになりました。納期が迫るとプレッシャーを感じます。学生時代もアルバイトはしていましたが、仕事に対する責任感が全く違うように思います。

最後に今後の目標を教えてください。

今は先輩について仕事をしていますので、自分でも担当を持ってお客様との設計の打ち合わせや価格交渉などをメインで出来るようになりたいです。

編集後記
今回は2社目となる情報通信業の企業を取材させていただきました。社長の言葉の中で「地元で若者が活躍できる場を整えておきたい」という言葉が印象的でした。地元の家族や地域の人が大事に育てた学生が進学を機会に都会に出て、大学などで専門知識を身につけた後、地元には仕事がないからといってそのまま都会に就職してしまう現状は、出雲に限らず全国的に問題になっています。そんな優秀な彼らに対し、出雲にもこんなに活躍する場所(企業)があるよとPRするのもこのブログを始めた目的のひとつです。これからも出雲地域の経営者の熱い想いと出雲でがんばる若者を紹介していきたいと思います。


株式会社日本ハイソフト
http://www.jhsc.co.jp/

2009年10月29日木曜日

株式会社出雲国大社食品

このブログで初めて製造業の会社を取材することになりました。今回は大社町の稲佐の浜を目前に望む、株式会社出雲国大社食品(従業員数25名)にお邪魔しました。はじめに、代表取締役の山崎茂樹社長にお話を伺います。



株式会社出雲国大社食品_外観





今回初めて製造業の取材をさせていただくことになりました。大社食品ではどんな食品を作っていらっしゃいますか。

近海で獲れるその時期その時期の旬の魚を処理加工して、かまぼこやあごの焼きなど、練り製品全般を生産・販売しています。



大社食品の商品写真


  
ペースト状のすり身が見慣れた形に





会社の創業は昭和38年と聞いています。社長は現在何代目ですか。

昭和38年に有限会社として法人化してからは、3代目になります。平成5年に代表取締役に就任しました。




山崎社長



社長がこの会社に入社するまでの経緯を教えてください。

大学では東京の大学に入学し食品生産化学科という科を専攻しました。卒業後はニッスイ(日本水産株式会社)に入社しました。ニッスイでは3年間は蟹工船に乗り、1年はちくわ工場に勤務しました。その後、家業を継ぐため出雲に帰郷し、入社しました。

出雲に戻ってこられて、仕事で印象に残っていることは何ですか。

昭和48年ごろだったかと思いますが、自社ではニッスイとの取引が会社の売り上げの7割(ピーク時)を占めていました。しかし、ニッスイの工場も会社の統廃合で下請けの受注量が減りました。このときは会社にとって大きな転換期でした。

ホームページを拝見すると、地元への販売だけでなく、遠く関東にも商品を販売していらっしゃいますね。どうして県外にも販路を拡大されたんですか。

地元だけの販路では、結局、同業者同士の競争が激しくなり潰し合いになってしまいます。それに、この地元のマーケットが今後拡大するとも思えません。そうなると会社の今後の経営を考えると県外に販路を拡大せざるを得なくなりました。

お得意先の中には、紀ノ国屋、伊勢丹など有名な百貨店などの名前が挙がっています。このようなところへ販路を拡げられたきっかけを教えてください。

10年前だったかと思いますが、島根県が主体となって、地元企業の販路拡大のための県の事業があり、それに自社も加入しているかまぼこ組合が参加しました。この事業ではいろいろなところに営業に行かせてもらいました。

そういった事業は各自治体もいろいろと企画していますが、そう簡単に結果が残せるものではないと聞きます。どうしてうまくいったとお考えですか。やはり品質勝負・価格勝負ですか。

いや、やっぱり「人」ですよ。品質にしたって、うちよりいいもの作る会社は全国にたくさんあります。だけど仕事は人と人との信頼関係が取引の基本です。それがあるからうちもこうして販路を拡大できたんじゃないかと思います。人との「縁」があったということです。

会社の人材について、社員との接し方はどんなことに気を付けていらっしゃいますか。

私は社員とは親子の関係と思って接しています。だからよく叱るし怒りますよ。最近はここまで教えんといかんかと思うことがあります。会社に入るまでに身に付けていて当たり前のことができていないように感じます。

社長が求める人材とはどんな人材ですか。

いろんな要素がありますが、素直な子がいいですね。面接のときに、勉強ができるとか、数学が得意とか、そんなところはあまり見ていません。だって、30分やそこらの時間で本人の適性なんて分かりませんよ。高校を出て仕事の能力なんて大差ありません。そうなると、会社で教えられることを素直に聞ける子が、会社でも成長しているように思います。

社長の息子さんは出雲に帰郷され現在大社食品の幹部としてお勤めですが、地域の地場企業には後継者問題に悩むところが多いと聞きます。どうして事業継承がうまくいかないとお考えですか。

三つ子の魂百までという言葉があるでしょ。あれと一緒ですよ。後継者である子供が小さいときから、家族、特に祖父母が「おまえは大きくなったらここの後を継ぐんだぞ」と言い聞かせる必要があります。そうして過ごして大きくなると、心の底では「帰らないといけない」と思うはずです。今頃は地元の若者がどんどん県外に出るでしょ。あれも一緒ですよ。親や家族やまわりの大人が「帰ってこい」と言えてないから、本人だって帰らなくてもいいかと考えてしまう。

休日はどんな過ごし方をされますか。

趣味はゴルフと読書です。読書は仕事のうえでいろいろとヒントになることが多いですが、人との会話や身の回りの情報や様々なものがヒントになります。今、自分にとって、または会社にとって何が必要か。その視点に立ってアンテナを張っていると、いろいろとヒントが浮かんできます。

最後に今後の目標を教えてください。

大社食品は今後も海の恵みに関するものを手がけていくことしか考えていません。今は海の珍味を商品化することを考えています。


続いては平成20年4月入社の高橋さんにお話を伺います。




平成20年入社の高橋さん



どうしてこの会社に入社されたんですか。入社されるまでの経緯を教えてください。

もともと食べることが好きで、就職も食品関連の仕事をしたいと考えていました。高校卒業後は東京の専門学校に通い、栄養士の資格を取りました。この資格を生かし、地元企業に就職したいと考えていました。

どうして大社食品を志望されたんですか。

品質に対して真剣に取り組んでいる印象と、食材に対する自信が伺え自分の食に対する思いを発揮できると思ったからです。また、大社食品の商品を小さいころから食べていたので、身近に感じていたというのも理由のひとつです。

実際入ってみていかがですか。

予想以上に作業はハードでした。学生時代に体を動かしていたおかげで体力的には大丈夫でしたが、一つ一つの手作業が丁寧さとスピードの両方を求められるので、大変でした。




工場内の様子


学生時代は体を動かしていたとは、どんなことをされていたんですか。

部活でソフトボールをやっていました。中学校から始め、高校進学のときは大好きなソフトボールで日本一になりたくて、全国レベルの高校に行きたいと思い、北海道の高校に進学し3年間寮生活をしながらハードな練習を続けてきました。結果、高校総体では3位入賞、国体では2位入賞を果たしました。

それはすごいですね。ソフトボールを通じて学んだことは何ですか。

チームがひとつになってみんなで戦うことはとても気持ちのいいものです。練習はとてもハードでついていくのがやっとでしたが、そのときの苦しさや厳しさがあるから今があると思っています。

会社ではどんな業務を担当されていますか。


季節によって取り扱う商品も違うのですが、今はレトルト商品でアジのつみれ汁、おでんのダシ汁を担当しています。おでんはちくわや大根など具も担当しています。




仕事中の高橋さん


大変なところはどんなところですか。

毎日同じ品質のものを作ることはとても難しいことです。いつも一定の分量で調味料を配合するのですが、味がいつも一緒になることはありません。そんなときは上司の指導を受けながら品質が一定になるよう調整しています。




工場に入る前は必ず手を洗う


勤務時間は何時からですか。

朝の8時から始まり、夕方4時半に終わります。毎週日曜は休みです。

学生の頃と比べて社会人になって変わったこと、気づいたことは何ですか。

仕事に対する責任の重さが違うこと。あと、親のありがたみです。働いて初めてお金を稼ぐって大変だなあと思いました。親には自分の進路を自由に決めさせてくれて、親が稼いだお金で進学させてもらいました。その時はそこまで考えつかなかったけど、いざ自分が社会人になって働いてみると、その大変さに気付かされました。

今の学生に伝えたいことは何ですか。

アルバイトやボランティアの経験はしておくといいですよ。学生のときしか自由に遊ぶ時間はないかもしれないけど、働くことの大切さをアルバイトなどを通じてしておいてほしいですね。

最後に会社のPRをお願いします。

社員のみんなは熱心で、丁寧に仕事を教えてくれます。一人の力ではなく、周りの人たちと協力し達成することによって得る喜びや満足感は他では味わえない気持ちのいいものです。あと、社長の元気がここのいいところです!

編集後記

今回は初めて製造業の会社を取材しました。女性にとって製造現場は華やかな職場のイメージから遠い存在かもしれません。しかし、今日取材した高橋さんは、この製造の仕事を通じて、お金の大切さ、仕事の大変さ、親のありがたみ、チームワークでひとつのことを作りあげることのやりがいなど、様々なことを学んでいらっしゃる様子でした。今挙げたことは決して製造業種を経験した人だけしか学べないことではありません。しかし就職活動の際に、自分がどんなときにやりがいを持つか、何に対して喜びを見出すかなど自分の心の内にあるものに丁寧に問いかけて、様々な可能性を考えることが、「こんなはずじゃなかった」を防ぐ一つの手段ではないかと思います。
取材終了後社長から「まちゃ(高橋さんのあだ名です)は婿さん募集中だけんよろしく」と言われました。明るく元気な高橋さんに会いたい方は大社食品まで!

株式会社出雲国大社食品
http://www.syokuhin.jp/


港や.jp 「生魚だけで作る蒲鉾屋」
http://xn--hbkv07p.jp/

2009年10月19日月曜日

株式会社三栄(JUMBOグループ)

今回は出雲市を飛び出し、東出雲町に本社のある株式会社三栄を訪問しました。昭和58年にパチンコ店の経営会社を創業され、出雲店のほかに、本社のある東出雲町に1店舗、松江市に3店舗、米子市に2店舗、鳥取市に1店舗、合計8店舗のパチンコ店を展開されています。株式会社三栄の代表取締役 徳田照夫社長にお話を伺います。


東出雲町にある株式会社三栄本社

出雲市内にも多くのパチンコ店がありますが、週末になると駐車場がいつもいっぱいになっています。これほど多くの人がハマるパチンコの魅力は何だとお考えですか。

先日たまたまテレビを見ていると、ある老人ホームでの生活を紹介する番組がありました。その老人ホームでは施設内で使える独自通貨のようなものがあり、入居者がその生活の中でたとえば皿洗いをしたり、食器を運んだりしたときにその独自通貨を賃金のようにもらえる仕組みがあるそうです。そこで高齢者がその独自通貨を花札で賭けるシーンがありましたが、花札をしている高齢者が何とも言えない楽しそうな顔をしていらっしゃるんですよ。これを見た時に、こうした射幸心を人間誰しも持っているんじゃないかと思いました。



代表取締役 徳田社長

確かに、負けて損するかもしれないけどもしかしたら・・って思います。今のお話にあるように高齢者の方や年配の方も多いんですか。

そうですね。スロットは比較的若い方が多いんですが、パチンコは年配の方も多いです。それと最近は女性の方も多くなりました。

これほどパチンコ店が多い中で、どうやってライバル店との差別化を図っているんですか。例えば新台をいち早く入れるとかですか。

新台は全国一斉に入りますので、導入する機械で差別化は図れません。お客様にたくさん勝ってもらって喜んでもらうのが一番でしょうが、いつもいつもそうしていたのでは、会社経営が成り立ちません。そのため当社ではとにかく人(=社員)で差別化を図っています。お客様にからみて「あの店員がいるからあの店に行こう」と思ってもらえる社員を増やすことです。


店舗の事務室のドアに貼られていた「接客虎の巻」

確かにパチンコ店の接客はとても丁寧ですよね。そんな社員を育てるためにどんなことをしていらっしゃいますか。

店長やスタッフやアルバイトも参加して、月1回社内勉強会を開催しています。ここではテーマを決めて各自が自分の考えを話してもらい、スタッフ同士お互い何を考えているか知る機会になっています。
接客に関しては、2~3か月に1度外部に委託して専門員に店舗の接客態度をチェックしてもらっています。
また、社員の昇格には公募制度を取り入れています。

その昇格公募制度とはなんですか。


簡単にいうと選挙のようなものなんですが、昇格を希望する社員が立候補をして、職場の同僚や上司にプレゼンをして、まわりの共感を得られることを昇格の条件にしています。また立候補の条件にはポイント制度を取り入れています。これは、会社が定めた一定の項目や自己申告した項目をクリアすることで昇進に必要な貯めていくシステムです。自己申告の中には、大山登山やボランティア活動を申告した社員もいました。

それはユニークですね。どうしてそのような制度を取り入れたんですか。

まず第1に、社員にとって自分が何をすればいいか明確にする必要があると思ったこと。何をすればいいか分からないまま働いていても、非効率ですしそれにやっていておもしろくありません。
それともう1点は自ら考え自ら行動する社員になってほしいということです。

社長が求める人材、伸びる人材とはどんな人ですか。

いろいろありますが、人の役に立つことを考え、常に自発的に行動することができる人に来ていただきたいですね。この三栄を通してそんな社員を一人でも多く育てることが経営者の使命と思っています。昔ほどではないですが、人材確保には苦労します。それはやはりまだまだパチンコ業界に対する偏見があるのでしょう。うちに就職を決めるときに就職する学生の親さんに反対されるんです。そんな親さんにも「三栄に就職してうちの息子(娘)はしっかりしてきたな。成長したな」と思ってもらえるよう、社員を大切に育てていきたいです。

続いては平成19年入社 現在ジャンボマックスブロス店(松江市)に勤務している村上さんにお話を伺います。

この会社に入社された経緯を教えてください。

私は東京にある大学で経営学を学んでいたんですが、そろそろ就職活動をはじめようと、地元で開催された合同企業説明会に参加して、そこに三栄がブースを出展していたんです。せっかくだから話を聞いてみようと思ってブースに立ち寄ったのがきっかけです。


平成19年入社の村上さん

話を聞いてみていかがでしたか。

そこで説明していた人事担当の方がなんとも言えない朗らかな雰囲気でお話をされるんです。就職活動では業種は接客業とターゲットを絞っていました。パチンコ業界のことは全く知りませんでしたが、自分の好きな接客業で、より高いレベルの接客ができると思い入社を決めました。

実際入ってみていかがでしたか。

まず、店舗の活気に驚きました。スタッフも平均年齢が20代半ば~後半ですので、話しも合うし、明るい職場で良いチームワークで仕事ができています。

今はどんなお仕事をしていますか。

現在は松江のブロス店のカウンターキャプテンとして、ホールやカウンターでの接客をやりながら景品交換の発注や管理をしています。


笑顔でカウンターに立つ村上さん

パチンコ店は遅くまで営業していますが、勤務時間は何時までですか。

早番と遅番に分かれていて、早番の場合は8時前に出勤して夕方4時半に終わります。遅番は夕方4時半前に出勤して夜11時の閉店後片付けなどをします。だいたい夜中の2時くらいに終わって帰ります。この早番遅番を勤務シフトを組んでいます。土日に休むことはなかなか難しいですが、あらかじめ予定が決まっていれば、その日を勤務シフトから外してもらって休みを取っています。

景品で人気商品はどんなものですか。

今はお米やお酒が結構人気ですね。お酒はちょっと珍しいものも景品として揃えています。何を仕入れて景品として並べるか考えるのも楽しいですよ。


景品のお酒。中にはあまり見たことがない珍しいお酒も。

現在取り組んでいることはどんなことですか。

まだ私しか取り組んでいないんですが、お客様へのあいさつを「いらっしゃいませ」から「おはようございます」又は「こんにちは」に変えて言っています。

それはどうしてですか。

あいさつが「いらっしゃいませ」だとお客様も返しようがないんですが、「おはようございます」「こんにちは」といえば、お客様も「おはよう」とか「こんにちは」とか返してくださるんです。そこから「今日は暑いですね」とか「今日は調子はどうですか」とか話しが広がりコミュニケーションが取れるんです。

なるほど。村上さんは本当に接客業というか人との関わりが好きなんですね。

私たちスタッフの接客レベルが上がると、不思議なもので自然とお客様のマナーもよくなり、店舗の雰囲気がよくなるんです。その雰囲気が居心地の良さとなって、お客様にいい環境を提供できるようになります。


ホールにて

いままでで印象に残っているお客様とのエピソードはありますか。

店舗の立体駐車場でメガネを落としたと言って、カウンターに駆け込んだお客様がいらっしゃいました。その時私は持ち場を離れることができず、代わりに他のスタッフを呼んで一緒に探してもらい無事見つかりました。そのお客様が「昨日はありがとね」と握手までしてお礼を言ってくださったことがうれしくて今でも覚えています。

仕事をしていて大変なことはどんなことですか。

遅番と早番の勤務シフトが変わるときは、生活リズムを調整することが難しいです。また年末年始やお盆など、一般的に世間が休みのときに休めないことです。
接客ではパチンコで負けているお客様にも気持ちよくとまではいかなくても、楽しんでいただけるよう接客で気を遣うところですかね。

休日はどんなふうに過ごしていますか。

旅行が趣味ですが、社会人になってからはなかなか時間が取れません。最近は映画を見たりします。出雲や米子の映画館にもよく行きますよ。

パチンコやスロットはされないんですか。

前はやっていたんですが、どうしても遣いすぎてしまって、最近はセーブしてます。

パチンコはやっぱり会社の系列店とかでやるんですか。


それはしません。社員やアルバイトが自分の勤務先の店舗や系列店でパチンコをすることは禁じられています。だからまわりでパチンコが好きなスタッフは他のお店で遊んでいます。他のお店のサービスや接客を勉強するいい機会にもなります。

今後の目標を教えてください。

まわりのスタッフとのチームワークもよく、今とても楽しく仕事をしています。好きな接客の技術をもっと高めて、お客様に喜んでもらえるようになりたいです。また、結婚や出産をしても続けたいと思っています。今は女性のスタッフも多いので、そうしたスタッフも仕事を続けやすい職場環境になるといいなと思っています。

最後に今の学生にメッセージをお願いします。

就職活動にあたっては、はじめから先入観を持たずに、いろいろな職業、仕事に興味を持ってみてほしいです。私も今のパチンコ業界のことなど全く知らない状態で就職を決めました。これもある意味先入観がなかったから入社を決断することができたと思っています。今は全く考えていない業種でも、意外なところに将来の就職先があるかもしれません。いろいろな可能性を考えていろんな分野に興味を広げてみてください。



訪問したジャンボマックス黒田店(松江市)

編集後記

今回は東出雲の本社と松江の店舗の2か所を訪問しました。この会社の一番の印象はスタッフの方が本当に気持ちいい笑顔で対応してくださることでした。スタッフの方のインタビューは店舗で行いましたが、廊下、事務室、店舗ですれ違うスタッフの方それぞれが笑顔であいさつをされ、本当に気持ちのいい訪問となりました。インタビューであった、「スタッフの質が上がるとお客様のマナーが良くなる」という話しが分かるような気しました。 店舗での取材中も常連客が村上さんに声をかけられ、親しく楽しそうに話をされる様子が印象的でした。

株式会社三栄(JUMBOグループ)
http://www.sanei-jumbo.com/

2009年10月5日月曜日

株式会社大隆設計


今回は建設コンサルタント会社の株式会社大隆設計を取材させていただきました。はじめに小村代表取締役にお話を伺います。



写真 本社外観

建設コンサルタントとありますが、具体的にはどんな業務をされていますか。

主なものは土木設計ですが、他にも環境調査や情報処理も行っています。 土木設計の中でも河川の設計については、当社の技術力が高く評価され、今年度を含め、3年連続で島根県知事から「優良業務知事表彰」を受賞しました。

3年連続とはすごいですね。大隆設計が提案される土木設計とはどんなものですか。

機能的であることはもちろんのこと、さらには環境と景観にも配慮しています。なかでも河川設計は、経験工学的な要素が多く、設計技術者個人の総合的判断(計算手法・歴史的経緯等)が必要です。単純に構造計算して答えがはっきりでるものではないところが、難しいところでもあり、設計技術が試される面白いところでもあります。


写真 河川設計

小村社長がこの建設コンサルタントの事業を始められた経緯を教えてください。

大学では地元島根大学で農業土木を専攻しました。在学中は学内紛争や父の入院などがあり、決して楽に卒業できたわけではありませんでした。そんななか卒業が迫ったとき、先輩から岡山に本社がある建築土木設計の会社を受けてみないかといわれ、松江支社に勤務したのがこの業界に入った始まりです。


写真 小村社長

入ってみていかがでしたか。

忙しかったがものすごくやりがいを感じました。入社当時の1970年代前半は田中角栄内閣の日本列島改造政策で、日本全国で公共工事が進められているころです。徹夜することもしばしばでした。

独立されるきっかけになったのは何ですか。

最初に入った会社で河川の設計をやらせてもらったら、これがとても面白かった。同じ土木設計でも多種多様な分野があるわけです。例えば橋梁の設計は専門の知識を持って、計算すれば誰がやってもはっきり答えが出ます。だけど、河川の計画はその設計者の総合的判断・把握が大切です。それはなぜかというと、経験工学的要素が多く、計算手法も多様であり河川ごとに最適手法を考慮する必要があるからです。会社を設立したのは、家族のこと、やりがいを感じた河川計画に深く関わりたかったこと、地域に少しでも貢献できればとか、振り返ってみると無鉄砲に思える行動であったように思いますが、これも若さゆえに出来たかなと思います。

独立されてからはいかがでしたか。

昭和51年12月に会社を設立しました。私が27歳のころです。仕事を頼まれても、独立したてで分からないことだらけです。業者指名の手続きなど分からないことは、当時の建設省や島根県の担当者に教えてもらいながら仕事を進めていました。しかし、私がやりがいを感じていた河川設計は、大きな仕事を任され必死でした。昭和54年11月に県と建設省が発表した「斐伊川・神戸川の治水に関する基本計画」は少人数の大隆設計にその多くを任せていただきました。

会社を経営されていて苦労される点はありますか。

コンサルタント業務というのは、何かものができるとか、形に残るものばかりではありませんので、その価値を想像しにくものもあります。これは極端な話ですが、コンサルタント料100万円で、報告書1枚ですなんていうと、そりゃ高いと思われるでしょう。もちろん報告書が1枚で済むことなんてありませんが、ページ数が多ければいいというものではありません。コンサルタント会社として作った計画は、関係者に理解され、納得され、そして実行されなければ意味がありません。ページ数が少なくても、要点が押さえてあり、理解しやすく要求を満たすものであるべきです。

最後に大隆設計が求める人材とはどんな人材ですか。または学生の方にメッセージをお願いします。

今の若い方に伝えたいことは、どんな分野でもいいから特定の分野のエキスパートになれということです。それは業務に限りません。何かを深く掘り下げるとそこからいろいろと派生してくるものなんですよ。例えば、当社がやっている3次元レーザー計量技術ですが、土木建築に限らず、遺跡調査等にも活用されています。オンリーワンの知識なり技術を持っていると、自然と仕事も集まってくるものです。まずは、自分の興味のある分野を突き詰めてみてください。それはのちに自分の大切な財産であり武器になるはずです。


様々な用途に活用される3次元レーザー計量技術

続いて、入社8年目、技術部設計課主任の周藤さんにお話を伺います。



現在はどんな仕事を担当されていますか。

神戸川の河川改修の設計業務を担当しています。

どうして建設コンサルタントの世界に入ったんですか。

大学での専攻が土木設計だったこともあり、就職先の業種はあらかじめこの業種と決めていました。斐川町出身ですので、卒業後は地元に帰りたいと思っていたので、地元企業であり、大学で学んだ知識が活かせるところを探しました。

出雲地域でも建設コンサルタントの業種は多かったのでは。その中で大隆設計に就職を決めたきっかけは何ですか。

河川設計や治水計画などに定評があり、幅広い建設コンサルタントの分野の中で、オンリーワンの技術がひときわ目立っていたからです。その特徴ある会社であることに魅力を感じました。

実際に仕事をしてみていかがでしたか。

大学でも土木設計の基礎を学びましたが、日々の業務で学ぶことは本当に多いです。毎日学び続けなければ仕事はできません。それに、河川の設計は人の命に関わるものです。間違いのない正確な設計技術が必要ですし、景観や環境にも配慮したものを提案して地権者に納得してもらわなくては、大切な土地を提供していただけません。入社して8年目になりますが、仕事をはじめて6~7年経ってやっと一人前になると感じています。


最近はどんな勉強をされましたか。

今年の夏に1級土木施工管理技術検定試験を受けました。今は結果待ちです。私の担当業務は設計ですが、設計した後は、当然その設計に基づいて建設業者が施工します。そのため、施工の知識も必要と思い受験しました。いずれは技術士の資格にも挑戦したいです。

この会社の良いところはどんなところですか。

就職を決めた理由でも話しましたが、特定の分野に強みがあるところです。また、仕事を通じて業務の専門性を高められることがいいところだと思います。

仕事で苦労されることはどんなことですか。

担当する仕事で、年度末や工期の重なるときは残業が多くなり、肉体的にしんどくなります。

プライベートはどんなことをして過ごしていますか。

最近は健康に気を遣っています。自転車を始めました。始めたばかりですが、サイクリングや読書をして気分転換しています。

今後の目標を教えてください。

まずは、現場での打ち合わせのときなど、その場で施工主の質問に即答できるようになりたいです。そのためには、これからもどんどん経験を積んで人から信頼される技術者になりたいですね。

編集後記

二階の事務室は広く、社員の方が大量の書類や図面を広げ忙しそうにしていらっしゃいました。社長の話の中で、ひとつのことを掘り下げ、その分野のエキスパートになることで、仕事や人脈が派生して広がるという話が印象的でした。

株式会社大隆設計
http://www.dairyu-s.co.jp/

2009年8月11日火曜日

社会福祉法人ひまわり福祉会

今回は、出雲市神西沖町にある社会福祉法人ひまわり福祉会にお邪魔しました。
市内に保育園3園、高齢者福祉施設ひまわり園、介護老人保健施設ナーシングセンターひまわりを経営し、福祉業界では革新的なサービスを次々と提供されています。
まずは常陸実理事長にインタビューします。


ひまわり福祉会ではどういった事業をされていますか。


保育園を3園(ひまわり第1、ひまわり第2、古志ひまわり)と特別養護老人ホームひまわり園、老人保健施設ナーシングセンターひまわりを運営しています。


理事長は特別養護老人ホームひまわり園の施設長もお勤めなんですね。理事長がこのひまわり園にお勤めになる経緯を教えてください。


私は、三人兄弟の末っ子として生まれ、父がひまわり福祉会の理事長としてこの法人を運営していました。三男ですし、もともとこの仕事を継ぐ気持ちもありませんでしたし、高校卒業後は、東京の農学部がある大学に進みました。もともと音楽が好きでしたので、卒業後はバンドのマネージャーの仕事をしていたんです。しかし、兄二人は結局家業を継がないことになり、父から出雲に帰ってこないかと言われました。28歳のときです。


写真 常陸(ひたち)理事長


それは意外でした。音楽業界から福祉業界へまったくの異業種の転職で苦労が多かったのでは。


最初の3年間はまさに自問自答の日々でした。福祉のことはほとんど知識がありません。まずは市内の福祉施設に実習に行かせていただきました。
そのときいくつかの施設を実習として見させていただきましたが、素人のわたしにとっては、疑問に思うことがたくさんありました。
たとえば、その当時の老人ホームでの介護というのは、個人の介護度など関係なく、ただベッドに寝かせ、寝たきり老人を作っているような状態でした。トイレもおむつをつけてベッドの上、食事もベッドの上。
お風呂は週に2回決められた曜日に午前中から一日かけて全員を入れる。利用者の視点が全くない。お風呂に入りたい入りたくないは関係なく、決められた曜日にひたすら流れ作業のように入所者を入れていくような、介護といいながらまさしく「作業」となっていました。
そんな中で私が出雲に帰ってきた翌年(昭和56年)にこのひまわり園ができました。そこでひまわり園を「日本一の老人ホームにしよう!」と当時の職員同士で理想を求めて毎日ががむしゃらでした。


写真 特別養護老人ホームひまわり園




日本一の老人ホームとはどんな老人ホームですか


そこに住む入所者が活き活きと、喜怒哀楽がある生活をする場となるような老人ホームです。
残念ながら私が実習に行かせていただいた施設では、入所者はみな無表情でまるで能面のようだった。だけど入所者の方にももちろん感情がある。その感情が自然と現れるような場になることを目指しました。


日本一の老人ホームを目指して具体的にはどんなことをされたんですか。


おむつの廃止、夜間入浴、3食バイキング形式の食事などです。
介助があるならトイレに行ける人はおむつを止め、行きたいときにトイレで排泄をする。
お風呂は入りたい人が入りたいときに入る。
食事は自ら好きなものを選んでベッドの上でなく食堂で食べる。
上の3つを見ると我々が普段生活するうえで、毎日当たり前にしていることですよね。
でもこれが福祉の業界では革新的でした。どんどんよそから視察に訪れるようになった。


それだけどんどん新しいサービスを展開されて苦労も多かったのでは


私は、昭和60年に32歳で施設長になり、平成8年に現職である理事長に就きました。現在13年目になりますが、当時に比べて法人の規模も大きくなり、全体の職員も200名を超えました。ここまで大きくなると、法人の理念やトップと現場との意思疎通が難しくなります。そこで昨年度から大幅な法人改革を行い、法人の組織体制、運営体制及び各規程等の見直しを行いました。そして、各事業所ごとにつくられていた運営理念も、改めて一元化した法人理念に全職員参加のもとつくりなおしました。われわれが向かう先を職員全員で共通認識として共有し次の世代に引き継ぎたかったためです。


写真 ひまわり福祉会法人理念 「よりそい、ささえあい、笑いあって」


現在介護の現場は人員不足がずっと続き、職員の入れ替わりも激しい業種といわれています。ひまわり福祉会では何か職員の定着やスキルアップなど工夫されていることがありますか。


法人理念にもありますが、開かれた施設運営を行うこととしています。そのための仕組みのひとつは意見箱の設置です。利用者もその家族も職員も誰もが入れることができるものです。一般に閉鎖的と言われる福祉施設で、利用者、職員、地域にとって開かれた、民主的な施設運営を目指しています。
また、職員のスキルアップでは、年間計画を立て定期的な研修と情報交換を行っています。


最後にひまわり福祉会が求める人財とはどんな人ですか


ひとつは真の社会福祉の理想を語れる人。もう一つは社会情勢に強く向学心のある人。そしてクライアント(社会福祉事業の援助を受ける人)や仲間を大切にする人。この3つを兼ね備えた人に来ていただきたいですね。
理想を語れるとは、介護なら介護で「私はこんなことがしたい!」とはっきり言える人です。それに対して正しい正しくないはありません。自分の理想を持っているかどうかです。最近はマニュアルに頼る人が増えたように思います。しかしこの業界ではマニュアルは通用しません。毎日いろいろなことが起こりますし、個性を持った人間を相手にする職業です。そこには臨機応変に対応する力がいります。その力を身に付けるには「こうしたい」というはっきりした意思を持ち、自問自答をしないと成長できません。
もうひとつは、社会情勢に強い人。ある意味閉鎖的な福祉業界に身を置き、自分が社会の中でどんな立場にいるか。目まぐるしく変わる政治や経済、社会の変化をしっかり捉えているか。その上で自身の仕事にあたれる人です。


続いては、平成19年4月に採用され、現在特別養護老人ホームひまわり園で介護福祉士として勤務している大野さん(22歳)にお話を伺います。


どうして介護福祉士を目指すことになったんですか。


私の祖母が高齢で介護が必要になり、自宅で家族の介護を受けながら生活していましたが、私には祖母の介護が何もできませんでした。祖母が亡くなった後、何もできなかった自分を振り返って、なんで好きだった祖母の介護ができなかったんだろうと後悔しました。祖母を介護できなかった後悔ということと、姉が同じ介護の仕事をしているということから、高校卒業後は、出雲にある介護の専門学校に行くことに決めました。

写真 介護福祉士の大野さん


どうして数ある福祉施設の中からひまわり園に入られたんですか 。


もともと専門学生のころに実習でここに来たことがありました。実習していて、利用者の方もよく笑うし、職員の方もよくしてくれて、とても好感を持ったからです。


高齢者福祉施設の中でも、より介護度が重度の方が利用される特別養護老人ホームをあえて選ばれたのはなぜですか。


デイサービスのスタッフなどもありますが、特別養護老人ホームが利用者の方と一番長く深く関係を築けると思ったからです。実際に、始めはなかなかコミュニケーションができなかった利用者の方と、少しずつでも笑ってコミュニケーションがとれるようになった時が、仕事をしていて一番楽しい時であり、やりがいを感じるときです。



でも実際は大変なことが多いのでは


確かに大変です。夜勤もあって、生活リズムがつかめず体調を崩す時もあれば、利用者の方とうまく関係が築けずストレスも溜まります。仕事の割に決して賃金が高い職業とは言えません。ただ、それらのマイナス要因を補うだけのやりがいや仕事の喜びがあるのは確かです。だから私も続けられています。今でも、すでに会えなくなった利用者の方のことをふと思い出すことがあります。


今の雇用情勢では、介護職の人員不足で求人も多く、異業種から介護職へ転職される方もおられますが、どう思いますか。


実際に転職をしても、なかなか続かない人が多いと思います。自分の頭の中では介護の仕事が出来ると思っていても、いざ利用者の方を目の前にするとできない場面も多々あるのではないでしょうか。実際に利用者の排泄のお世話もありますし、利用者から暴言を吐かれたり叩かれたりすることもある。肉体的・精神的にもしんどいことが多いですからね。やりがいがあるのは確かですが、生活の糧を得るためだけでは続きません。


どんな方が介護職に向いていると思いますか。


私の場合ですが、まずなにより、おじいちゃんおばあちゃんと接することが好きな人。私はここに一番の仕事の喜びややりがいを感じています。少しずつ時間をかけて関係を築いていった利用者の方と心の繋がりできることが、この仕事の魅力です。同じようにそこに魅力を感じることができるかどうかです。
それからこの仕事はチームプレーが必要です。だから協調性は必要です。それは職員との協調、利用者との協調、利用者の家族との協調、それぞれが必要不可欠な協調性を求められます。
あとひとつ、自分の中で優先順位をつけて仕事に取り組むことができること。これは、介護の仕事はやることはたくさんあって、だけど人手不足でやれることは限られています。だから優先順位をそのつど判断して、今、目の前にいる利用者の方にとって、何をすべきかを考えながら仕事を進める能力が求められます。


今後の目標を教えてください。


今後は自分の知識を吸収することと、新しく入ってくる職員のためにも、指導力を身につけたいですね。それと、利用者の方の日常生活にいろいろな刺激というか、生活の変化を取り入れたいです。特別養護老人ホームというところはどうしても閉鎖的で毎日が同じような日常になりがちなんですよ。そこに少しでも刺激があるような生活を送ってもらえたらと思います。
なにより、利用者の方にとって、ついの棲み処として、このひまわり園で過ごせて良かったと思ってもらえること。これが一番の目標です。なかなか難しいですけどね。


編集後記


今回は、求人ニーズが多い介護職にスポットを当ててみました。現在慢性的な人手不足と言われている医療・介護の現場ですが、今回取材して思ったことは、医療でも介護でも、仕事をしている方の使命感でなんとか維持されている業界だと思いました。介護保険制度などいろいろな問題があるのでしょうが、やりがいを持って一生懸命働く人が、いつまでも活き活きと働ける社会環境が一日も早く整えばと思います。


社会福祉法人ひまわり福祉会
http://www.w-himawari.or.jp/

2009年6月26日金曜日

株式会社プロビズモ

今回は出雲のIT企業をご紹介します。平均年齢29歳、社長と副社長、社員1名の3名で創業して8年、いまや従業員102名、年商9億円と右肩上がりの成長を続けている株式会社プロビズモにお邪魔しました。


まずは、浅田副社長にインタビューです。


会社の事業内容を教えてください。


情報システムの構築と保守運用、ホームページの作成、インターネットサービスプロバイダ事業などを行っています。


そもそもなぜこの会社を設立されたんですか。会社設立の経緯などを教えてください。

今から8年前にインターネットサービスプロバイダ事業として株式会社エフテックを設立したのが始まりです。当初は、現社長である鎌田と社員1名と私の3名でスタートしました。


写真 浅田副社長


設立当初はどんな事業をやっていたんですか。


いずもネットというインターネット接続のサービスを始めました。当初はまだダイヤルアップ接続の時代で、他社が2000円前後でサービスを提供していたところを当社では、850円という価格設定で参入しました。


半額以下ですね。それではたくさんの申込があって忙しかったのでは?


実は思いのほかこの事業が伸びなかったんです。そこでこのままではまずいということで、社長の鎌田は前職でのつながりを使って東京にシステム開発の仕事を受注しに行き、私はプロバイダの会員拡充を販売から営業に切り替え島根に残りました。


社長は前もIT業界にいらしたんですか。


東京の大手SI企業でシステムエンジニアの仕事をしていました。
私は、大学卒業後金融機関に就職後ITベンチャーに転職し現在のプロビズモを、同級生であった鎌田と立ち上げました。


プロビズモという社名の由来を教えてください。


「PROBIZMO」という社名には3つの単語が組み合わさっています。ひとつは「PRO」これは英語のprompt(敏速、先端)やprofessional、progress(成長・促進)process(過程、方法)などを意味しています。もうひとつは「BIZ」これはbusinessの略。そして最後はIZUMO、inshoreです。


最後のinshoreとはなんですか?


システムを開発する過程において、中国などの海外で開発することをオフショア開発といい、一方国内の都心のみで開発することをオンショア開発といいます。このふたつの開発方法はどちらにもメリットデメリットがあります。たとえばオフショアの場合、海外で開発することによりコストが低く抑えられる一方、言葉の壁があります。正確にお客様のニーズを反映させるには言葉の壁は大きな障害です。
一方国内の都心で開発するオンショアは、顧客に物理的に近く、顔を合わせて頻繁に打ち合わせなどができるため、顧客のニーズをくみ取りやすい半面、オフィスの立地や都市部の人件費など、どうしてもコストが割高になってしまいます。
当社ではその両方のメリットを生かし、都市部と地方の分散体制で開発を行うインショアというビジネスモデルを確立しています。出雲に本社を置きながら、東京支社で顧客にニーズを正確にキャッチし、出雲本社で具体的なシステムとして開発していくという開発手法です。このような手法は現在当社では「島根モデル」と呼んでいます。


どうしてそのようなビジネスモデルを確立されたんですか。


前段でも述べました「島根モデル」を確立することにより、島根に居ながら首都圏の仕事ができ、技術的にも新しいもの取組め、また首都圏側においても技術者不足を補えるというメリットに着目致しました。またデータセンターを島根にもつことによってコストが抑えられるということです。都心に部屋を持ちサーバーなどの機械を設置するよりも、土地代の安い地方のほうがはるかに有利です。また、顧客から預かる大切なデータを東京と島根という離れた場所に分散して保存することで、リスクも分散できます。たとえば地震や火災などの災害時においても、バックアップ先として活用でき、企業の内部統制の一角を担っております。


なるほど。確かにおっしゃるとおりですね。起業当初からこのようなモデルを確立されたんですか。


会社運営や事業拡大をしていくうちに自然と確立されたものです。われわれのようなIT企業は都心にいけばそれこそ数えきれないほど企業があるわけです。そうしたなかで、差別化を図るために、われわれプロビズモの強みとはなんだろうかと考えると、出雲に本社を持ち、島根で育った社員を採用していることです。転職率の高いIT業界において、真面目で根気強い島根の県民性を持った社員がいることが本当の我々の強みでもありまた「島根モデル」であるのかもしれません。また、東京に本社を置いて出雲に支社を置くのでは意味がなく、社長も私も出雲出身であるがゆえにやはり地元への愛着が大きな部分を占めています。 したがって、コーポレートアイデンティティを社名そのものにこめています。


最後に浅田副社長が求める人材とはどんな人材ですか。


コミュニケーション能力が優れた人ですね。人との関わりが苦手だからIT業界を選んだという人は要りません。
IT業界の仕事は一日中パソコンに向かっているようなイメージがあるかもしれませんが、実際のところお客様との打ち合わせやスタッフ同士のミーティングなど、コミュニケーションスキルが求められる場面が多々あります。
たとえばSE(システムエンジニア)としてお客様の会社の業務ソフトを作成する場合、お客様の業務内容や流れを理解し、それを具現化して各担当に正確に仕事を割り振り指示していかなければなりません。お客様の意図するところを100パーセント汲み取り、さらにこちらから提案してお客様の満足を120パーセントにできなければなりません。100パーセントは当たり前。満足度をさらに20パーセントでも30パーセントでも上乗せできる人が一流のSEです。
そのためには、お客様が求めているのは何かを正確に把握しなければならない。そのうえで、スタッフ同士進捗状況などを確認しながらチームで一つのシステムを作成していく。この一連の過程にはコミュニケーション能力が必要不可欠です。そのスキルを身に付けるために、若いうちにいろいろな経験をして広い視野を持ってほしいですね。


続いては、今年4月に採用され、現在システムアウトソーシング部に配属された新入社員の石飛さん、葛原さんにお話を伺います。


写真 葛原さん(左) 石飛さん(右)




どうしてプロビズモに応募しようと思われたんですか。


(石飛) 一度は違う職種に就職したんですが、もともとパソコンが好きで出雲コンピュータ専門学校に入校しました。プロビズモを選んだのは、学校の先輩がプロビズモに入社しているんですが、その先輩から社員同士仲が良く、職場の雰囲気がすごくいい会社だと聞いていたので。


(葛原) 私は、出身が出雲でどうしても県内で就職したかった。就職フェアや個別面談会などに参加して、いろいろと就職活動をしたんですが、この会社を選んだのは、社員の平均年齢が若く、将来性がある会社だと思ったことと、会社パンフレットに鎌田社長の素敵な笑顔があって、それを見て明るく元気な会社の雰囲気が私に合いそうと思ったからです。


現在はどんなお仕事をしていますか。


(石飛) 現在は先輩の指導を受けながらサーバー構築の業務を担当しています。専門学校で学んだことを実際の仕事として活用することができてとてもやりがいを感じています。


写真 石飛さん




(葛原) 私は、地元の大学の文学部卒業で、パソコンの専門知識は全くないまま入社しました。今は先輩の指導を受けながらサーバー構築の勉強中を行っています。当初IT業界に就職する際は、この業界の人は人づきあいが苦手な人が多いイメージを持っていました。しかし、入ってみると先輩社員のみなさんの面倒見がとてもよく、勤務時間が終わってからも私の自習に付きあっていろいろと教えてもらったりと、入社時とても不安でしたが、今は早く会社の戦力になれるよう一生懸命勉強しています。



写真 葛原さん




社会人として今の学生にアドバイスがあればお願いします。


(石飛) あいさつをすること。あいさつは基本的なことですが、とても大切なことだと感じています。大きな声であいさつができるようになってください。それプラス明るく笑顔でできればさらにいいです。


(葛原) とにかくコミュニケーション能力を身につけておくといいです。相手も人間、話せば分かる。相手が何を言わんとしているのか、まずはそれをじっくりと聞いて、そのうえで自分の意見もしっかりと伝える。それができるようになるといいと思います。私自身は接客業のアルバイトを経験して、そこからこの考えにいたりました。学生のみなさんもアルバイトはオススメです。いろんな年代やお客さんと話すいい機会が持てると思います。


休日の過ごし方は


(石飛) 友達と飲みに行ったり、ショッピングしたりです。仕事のスキルを身に付けるために関連する本を買ったり、パソコンをやったりしています。また、会社の中のサークルで、ソフトテニスやフットサルなどのスポーツをやることもあります。


(葛原)  私は本を読んだり、絵を描いたり。平日仕事が終わってから会社のサークルのテニスをしたりしています。


今後の目標は


(石飛) システムエンジニアとして知識と技術をもっともっと蓄えたいですね。そのためにいろいろな業務を経験したいです。


(葛原) 私は、プロビズモの社員として仕事を取ってこれる社員になりたいです。頼むならプロビズモに頼もう、または葛原に頼もうと言ってもらえるようになることが目標です。


最後に会社PRをお願いします。


(石飛) プロビズモは社員同士仲が良く、明るい雰囲気の会社です。IT企業として、地元に本社がありながら、東京支社に勤務して技術の最前線で仕事ができるのも大きな魅力です。チャレンジ精神旺盛な方はプロビズモがぴったりだと思います。


(葛原) 私のようにIT関連の知識がない方でも、入社することができます。業務に関する知識は後から一生懸命勉強すればいいので、まずは自分の好きなこと、得意なことを磨いていってください。そういった個々の個性を大切にしてくれる会社です。


編集後記


島根モデルと言われるinshore開発は、IT産業以外にも適用できる産業モデルだと感じました。もちろん他の産業では物流コストの面やクリアしなければならない課題もたくさんありますが、特に出雲のような地方部では、いかにして市外の外貨を獲得するかが共通の課題で、産業振興の大きなヒントとなるのではないでしょうか。浅田副社長のインタビューの中で、出雲に本社があることや、社員という「人財」がコーポレートアイデンティティであるという話が印象に残りました。出雲市のアイデンティティとは何だろうと考えさせられた取材でした。

株式会社プロビズモ
http://www.probizmo.co.jp/


2009年5月25日月曜日

(株)イトガ

株式会社イトガ_外観



まずは、株式会社イトガ 糸賀忠夫社長にインタビューです。

会社の業務内容を教えてください。

呉服・振り袖・紳士服・婦人服・寝具・ギフト・オーダーカーテン・健康器具の販売や新築・リフォームなどの建築業、介護用品のレンタル・販売などを行っています。


事業内容が幅広いですね。もともとはふとんの販売から始められたと伺っています。

高校を卒業後、昭和46年にいとが寝具店として創業しました。26歳のときです。


26歳の若さで独立されたんですか。

中学卒業後やくもわたに勤めましたが、人に遣われるのはどうも性に合わなくて(笑)その当時は中学卒業してから働く人と、高校へ進学する人が半々でした。でもまわりの友達からは、「これからは高校卒業ぐらいじゃないといろいろと勤まらないぞ」と言われて、4年間夜間高校に通いました。そして卒業後に独立しました。


糸賀社長_写真



今の主力商品を教えてください。

最近はギフトが多いですね。昔は、進学祝いなど節目に着物や寝具が売れていました。そばがら枕なんかも月産3万個はありました。今頃は着物はほとんどがレンタルですからね。
それと平成16年に会社内に建築部を設けました。これまでの寝具などは現状を維持しながら今後はそちらを伸ばしていきたいですね。


なぜ建築部を設けたんですか。

うちはもともとインテリアや内装、オーダーカーテンなどを扱っていたんですが、お客様から、あれもやってくれこれもやってくれとの要望に応えるうちに、建設業許可を得ていなければ請け負えないくらいの規模になりました。そのため正式に島根県知事の建設業許可を得ることになり始めました。
最近では介護のためのリフォームや福祉用具のレンタル・販売も始めました。社員にも福祉用具の相談やリフォームなどの相談に応えられるよう資格や講習などを積極的に受けさせています。これからは介護の時代です。住み慣れた家や地域で快適に暮らせること、そのお手伝いをしたい。


社訓や経営理念などがあれば教えてください。

うちの経営理念は、「人と人との絆を大切にし、情熱と誠意を抱き事業を展開する」です。
私はとにかく人との繋がりや「義」を大切に会社を経営してきました。どんな仕事も結局は人と人との絆なんです。だからそれを大切にする。


糸賀社長が社員との接し方で気をつけていることはありますか。

社員には極力仕事を任せるようにしています。社長がいちいち口を出していては社員は育たないと思うんです。社員にしても、社長から任せられれば「よっしゃやったるか!」という気持ちになる。
仕事を任せるのには勇気が要ります。だけど、社長だって得意不得意がある。パソコンがどうとか経理がどうとか、全部が全部そりゃできませんよ。だからできる社員に任せる。任せたら口を出さない。そうやってきました。


株式会社イトガが欲しい人材とはどんな人材ですか。

営業ができる人。これは飛び込み営業がどうとかという話ではなくて、営業の厳しさを知っている人がいい。例えば都市部の企業でノルマなんて当たり前なんてところで営業の経験がある人がいい。うちにはノルマは課してませんよ。だけどそのくらい営業の厳しさを知った人に入ってほしい。
それと仕事を任せられる人。これはもちろん仕事の能力もあるけど、責任感があるということ。社会人として責任感を持っているか。そんな人に入ってほしいですね。


最後に今後の目標を教えてください。

会社経営としては借金を減らして会社の財務状況を少しでもよくすること。もうひとつは、社員にとって「イトガに入ってよかった」と思ってもらえる会社にしたい。うちの会社は社員や家族・地域に支えられてここまでやってきた。だから社員も家族同然だと思っています。社員にとって仕事を充実させることで生活を充実させる。仕事が充実してないと家に帰ってからもいい顔なんてできません。だから社員が「イトガ」で働くことで充実感を得られるようにしたい。逆にいえばそうならなければ会社の発展はないと思っています。


さてここからは社員の方へのインタビューです。ジョブステーション出雲を利用されて今年の5月からイトガに入社された中村さんに伺います。

中村さん_写真1


中村さんは広島で住宅の販売営業を6年されてから出雲にUターンされたんですよね。そもそもイトガを希望された理由はなんですか。

ジョブステーション出雲に求人を見に行きました。そこでイトガの求人を見かけて。ジョブステーション出雲にある求人票にはギフトのラッピングの仕事の求人だったんですが、事業内容に建築業の文字があったんです。それでジョブステーションの相談員さんに聞いてもらったら、募集はしてないけど、面接だけならと言って、そしたらとんとんと決まりました。


実際会社に入ってみていかがですか。

相談員の方から聞いてはいたんですが、ほんとにアットホームな会社ですね。社員の頑張りをちゃんと見てくれる。年齢も幅広く本当にひとつの家族のようです。


現在の担当業務はなんですか。

リフォームなどの相談を受けたお客様と実際に見積もりを作成したり、細かい打ち合わせをしたりです。じっくりとお話を聞きながらできるだけ要望に応えるようにしています。
まずはこの業務でイトガの建築部の業務内容全般を覚えてからでないとお客様に営業できませんから。


中村さん_写真2


仕事をしていてうれしい・楽しいと感じるときはどんなときですか。

やっぱりお客様に喜んでもらうときですね。リフォームの相談を受けて細かい打ち合わせをしてからやっと施工・完成までこぎ着ける。その完成後の我が家を見て、その出来にお客様が本当に喜んで感謝してくださるときは、自分としても本当にうれしいときです。


今取り組んでいることはありますか。

整理整頓は常に心がけています。それと、会社の新規事業である介護分野では、今度7月に福祉住環境コーディネーターの資格取得に向けて勉強中です。


休日は何をして過ごしていますか。

車が好きで、愛車をピカピカに磨き上げています。それと読書ですかね。ミステリーものが特に好きです。


社会人としてこれから社会に出る学生に伝えたいことはありますか。

社会に出ると人との関わりなしには仕事は進みません。相手の立場になって物事を考えることができるようになることが、必ず必要になります。まずは今自分が繋がっている人とのコミュニケーションを大切にしてもらいたいです。


ジョブステーション出雲を利用してよかった点はありますか

私はUターンで出雲に戻ってきましたが、正直自分で何がしたいのかよくわかりませんでした。ハローワークにももちろん行きましたが、利用者が多くとても相談できるような時間はありません。そんなときジョブステーションの相談員の方にじっくり話を聞いてもらって、このイトガの求人も応募する気持ちになりました。


今後の目標を教えてください。

まずは自分が人から仕事を任してもらえる人材になることです。そしてこの建築部をもっとイトガの事業として大きくしたいです。


最後に会社PRをお願いします。

イトガは本当にアットホームな会社です。もちろん仕事の厳しさはありますが、頑張ればしっかりその頑張りを認めてくれるそんな会社です。これからは新しく事業を展開する介護事業を、これまでの建築・リフォームとうまく連携しながらもっともっと家を、地域を住みよい環境にしたいです。


5月24日に一周年を迎えた(株)イトガの総合展示場_写真



編集後記

今回がこの企業紹介ブログの記念すべき1社目の訪問となりました。
写真ではなかなか伝わりにくいかもしれませんが、
この糸賀社長はインタビュー中も豪快に笑っていらっしゃいました。
義理人情に厚く、どっしり構えた豪快社長。そんな印象でした。
今後もどんどん企業訪問を続けていきたいと思います。


株式会社イトガ ホームページ

http://itoga1218.jp/